組織図
沿革
大正14年4月3日 | 川村シン兵庫県武庫群西灘村に少女保護施設「武庫の里」を創設 | |
昭和14年1月 | 川村シン急逝により孫川村一子、事業継承 | |
昭和16年5月 | 川村秀蔵、園長に就任 | |
昭和20年8月5日 | 空襲により焼失、灘区青谷灘教会堂を借受け戦災孤児の収容開始 | |
昭和22年4月 | 現在地に1,000坪を買い求め兵庫県緊急救援護費によって、242坪8合8勺の建物を作り県より委託される | |
昭和22年5月3日 | 米国少年の町のフラナガン神父来訪 | |
昭和22年6月11日 | 天皇陛下行幸 | |
昭和23年4月1日 | 児童福祉法施行に伴い児童福祉施設として認可(定員200名) | |
昭和24年5月10日 | 児童福祉法による御影乳児院認可(定員20名) | |
昭和25年8月 | 財団法人設立認可、附帯事業として建築補導部を設け、建築請負開始 | |
昭和27年4月30日 | 社会福祉法人に組織変更認可 | |
昭和29年1月 | 信愛学園許可定員150名に変更 | |
昭和29年4月1日 | 保母研修所開設 | |
昭和34年2月12日 | 保母研修所昇格(御影保育専門学院(二年制)として認可) | |
昭和36年4月1日 | 御影乳児院許可定員30名に変更 | |
昭和39年2月 | お年玉付年賀はがき寄付金等により御影乳児院増改築 | |
昭和44年2月 | 信愛学園児童園舎老朽のため、国庫補助、神戸市補助、社会福祉事業振興会借入等を以て鉄筋コンクリート四階建て、延べ1270.5㎡の改築竣工 | |
昭和46年3月 | 信愛学園児童園舎第二期改築、神戸市補助、日本自転車振興会補助、社会福祉事業振興会借入等により鉄筋コンクリート四階建て、延べ1097.5㎡の増改築竣工 | |
昭和56年2月3日 | 川村秀蔵理事長急逝により、遠藤汪吉理事長に、川村豊子信愛学園長に、川村基子乳児院長に就任 | |
昭和60年4月 | 信愛学園許認可定員90名、御影乳児院認可定員24名に変更 | |
昭和61年6月 | 信愛学園児童園舎3・4階改装工事完了 | |
平成1年2月 | 御影保育専門学校校舎老朽のため、日本船舶振興会補助金、神戸市補助金及び社会福祉・医療事業団借入金等をもって、鉄筋コンクリート3階建て延549.21㎡の増改築竣工 | |
平成2年6月 | 御影乳児院、日本自転車振興会補助金、神戸市補助金等をもって、鉄筋コンクリートスレート葺3階建て延べ㎡の改築 | |
平成4年4月1日 | 遠藤汪吉理事長急逝により、川村英夫、理事長に就任 | |
平成7年1月17日 | 17日未明の阪神・淡路大震災により、児童棟南北館ジョイント部分が破壊、北館は北へ15cm移動し、一階西側全柱が圧縮破壊された。 乳児院は洗濯場、物干場が全壊、本館は一部損傷。保専は北館が一部損壊、書庫・ピアノ個室棟が全壊した | |
平成8年3月 | 児童棟南館大修復終了。児童棟北館は、災害復旧国庫補助、神戸市補助、中央競馬馬主社会福祉財団助成金及び義援金等によって復旧する | |
平成8年6月18日 | 児童棟北館竣工式 | |
平成9年4月 | みかげ子ども家庭相談センター開設 | |
平成20年4月 | 御影のどか保育園 開設 | |
令和元年6月 | 川村 基子 理事長に就任 |